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雪雄子のこと

吉岡実(詩人)

私の詩集『サフラン摘み』の中に、「あまがつ頌」という、長い詩がある。サブタイトルに -北方舞踏派「塩首」の印象詩篇ー と記されているように、それは暗黒舞踏と出羽三山を主題としている。冒頭の一説は次のようになっている。

 魚や獣の骨片を
 人々が隠蔽するために投げ入れた
 汚れた穴から
 長い杖をふりかざして
 胎内のからくりを
 告発しながら
 這い上がってくる者がいる
 杖で叩かれた周囲は陥没し
 粟飯
 蝗
 稗の穂はなびき
 まるでゴヤの描く
 紅服の美少年が出現する
 鮮烈なイメージを造形した「紅服の美少年」が、私がはじめて見る雪雄子であった。典雅な姿態と狂気の情念が、きらりと陰惨な空間に浮び上がって見えた。
 みちのくの鶴岡市郊外の巨大な倉庫で、ビショップ山田の北方舞踏派の旗上げ興行が催された。土方巽一党とも言うべき、麿赤児の大駱駝艦の踊り手たちと芦川羊子と玉野黄市、そして地元の白面の舞踏者森繁哉らに依る「塩首」は、みごとな舞踏叙事詩であった。
「あまがつ頌」の終章を引用する。
 骨折り 肉たたみ
 愛する美少年と
 チューブの馬は同一のままである
 顕示された穴へ
 混合物として再び埋没する

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土澤に雪が舞う

 雪雄子の津軽入り、あれはいつだったか。
 突然連絡を受け、弘前・「田中屋」半地下の珈琲北奥舎で出会った。そこをわたしが指定したのであった。
 店内の本棚に並ぶ、渋澤龍彦全集の背に、目を走らせていた雪は、すっと立上がった。
 北方舞踏派を名乗り、東京→鶴岡→小樽→東京と、転戦してきたビショップ・山田がひきいる集団の、トップ舞踏手の雪が、何故またここに

 理由はたずねまい。ともかく、雪がいる。
 津軽路の車中で、そういえばこの地に、美術の村上善男がいるはず、と気づき、浪岡で降車し、今日になりましたと語った。
 新たな出発として、この地の選択に間違いはないと、私は断じたのである。そして、雪殿、何年になりましたかね。
 暗黒舞踏派の創始者・土方巽氏に目をかけられ、詩人・吉岡実氏をうならせた、正統舞踏手・雪雄子は、一人津軽派として、わが個展にオマージュとして踊るという。
 「雪のある自画像」の画家・萬鐡五郎氏も今、蘇って見とどけて下され。


村上善男(美術家)

六月一四日 盛岡・橡舎にて

近年の公演

津軽時代(独舞)

北方舞踏派時代

1991
蝦夷面(渋谷)
蝦夷面(サンフランシスコ)
蝦夷面(沖縄)

1990
土方巽記念館落成記念公演「アイコンとしての肉体」

1989
蝦夷面(池袋)

1988
Tokyo sound splash「深町純レクチュアコンサート」
雪 雄子舞踏会「阿部家に極楽鳥を贈る」

1987
危機に立つ肉体

1985
雪 雄子リサイタル「ライラックガーデン」

1984
アジアの青
鷹ざしき

1983
全国縦断ツアー 12ヶ所で公演

1982
北方舞踏派公演「月下の畝」

1981
鈴蘭党 写真集出版記念公演「舞いみぞれ」

1980
熊谷日和追悼公演「どんこ姫」
『魚藍館』落成記念公演「余がむざねに零りし銀鈴」

1979
北方舞踏派公演「夏至の眼」

1978
北方舞踏派公演「なつかしの七月」
鈴蘭党公演「ホッケ考 -蜜から粉へ」

1977
鈴蘭党公演「魚の臭いのする王女」
北方舞踏派公演「七面の館」
鈴蘭党旗揚げ公演「それで世界は終わらない」
女性舞踏団『鈴蘭党』結成

1976
北方舞踏派公演「酢爪坂」
北海道小樽へ移住 北方舞踏派による『海猫屋』建設

1975
北方舞踏派結成記念公演「塩首」

1974 北方舞踏派と共に山形出羽三山麓へ移住

1973
天賦展式「陽物神譚」
天賦展式発丑「金魂鳥亞レシアン島八咫」

1972
天賦展式旗揚げ公演「DANCE桃杏マシン」
大駱駝艦(麿赤児主宰)の旗揚げに紅一点として参加

制作ノート